主日礼拝説教 2026年2月1日

マルコによる福音書 8章11~21節
「まだ悟らないのか」

 ファリサイ派の人々はイエスさまを試そうとし、「天からのしるし」を自分たちに見せてくれと要求しました。これまでイエスさまはガリラヤで十分すぎるほどの奇跡を行っているのに、これ以上彼らは何を求めていたのだろうと考えてしまいます。むしろ議論を仕掛けたと続いていますので、悪意をもって要求したのだろうと思えるわけです。そんな人たちにイエスさまは深く嘆き、「今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」と一言告げてその場を去ります。
 イエスさまにしるしを求めることそのものは悪いことではありません。旧約でもしるしを見せてほしいと複数回頼まれ、それに神さまが応えてくださっている個所も少なくありません。しかし、ファリサイ派の場合はイエスさまを陥れて彼を否定しようとしるしを求めたことがよくなかったのです。神さまへの信頼と、さらには示された神さまの御心に従うという素直な心が必要です。自分の願望を追認するために、神さまの御心、神さまからのしるしを求めることがよくないと聖書は語るのです。
 ファリサイ派との話を終えて、イエ スさま一行は舟で出発します。すると弟子たちはパンが一つしかないことに気が付きます。イエスさまはパンがないことについて議論する弟子たちに、ファリサイ派とヘロデのパン種に気を付けるよう注意されました。パンが話題になっているのでパン種をたとえ話の題材としたのでしょう。しかし弟子たちは言葉の通りパンについての注意と捉えます。
弟子たちには二つの問題があったことが分かります。まず、イエスさまがどなたなのかということをきちんと認識していれば、そもそもパンの心配などする必要はなかったことです。二度も大勢の人が少ないパンと魚を分け与え、余りが出るほどになった奇跡を目のあたりにしているのですから、今回も何の問題がないことに気が付く必要があったはずです。また、イエスさまは語られたパン種を、たとえと気が付かずに、文字通りの意味で捉えてしまっていたことです。イエスさまはファリサイ派の悪い影響や教えに気を付けなさいと教えたのに全く気付かなかったのです。イエスさまは「覚えていないのか」「まだ悟らないのか」と嘆かれました。
 しかしそのまま弟子を見捨てません。嘆きながらも勘違いを丁寧に治そうとされます。これは現在まで続く教会やクリスチャン一人一人にも当てはまることです。御言葉を宣べ伝える大きな使命を忘れ、日々の糧に集中しすぎてしまうことはよくある事です。個人単位で言えば衣食住など日々の生活に関することや人間関係、教会単位で言えば高齢化や出席人数に関すること、教会堂のメンテナンスなどの課題があります。これらはとても重要なものですし、無視できません。しかしここに注意しすぎ、神さまの御言葉を宣べ伝えることを忘れてしまうと、悪いパン種に注意しなさいというイエスさまの言葉が理解できず、もっと豊かにせねば、数字を増やさなければと意識が強まり、神さまから離れてしまいます。そのようなことは私たち以上に神さまが心を配ってくださっているのです。神さまは私たちの必要を知り、必要なものは私たちが願う前から備えてくださっています。それを知り、悟り、感謝して受け取り、私たちが与えられた福音を、神さまの愛を宣べ伝えていくことを第一とすることを忘れないようにしましょう。神さまに信頼することを忘れず、信じることが大事なのです。私たちに与えられた使命を大切に、十分に与えられた恵みを喜び宣べ伝えていきましょう。

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