主日礼拝説教 2025年10月26日

マルコによる福音書5章21~43節
「2人の女性」
 ヤイロという会堂長がイエスさまのところにやってきて「私の幼い娘が死にそうです。どうかおいでになって手を置いてやってください」と頼みました。きっと苦しむ娘に何もしてやれなく、つらい思いをしたことでしょう。しかしイエスさまのうわさを聞き、イエスさまならきっと娘を癒すことができるはずだと飛んできたことでしょう。そこには確かにヤイロのイエスさまへの信仰がありました。そんなヤイロの信仰を見たイエスさまは、ヤイロと一緒に出発します。
 そんな中で別の物語が始まります。群衆の中に一人の女性がいました。彼女は十二年間も出血が止まらない状態でした。長期間血が止まらないことは、それだけで大変なのです。しかし彼女を困らせていたのはそれ以上のことです。律法では簡単に言うと血が止まらない状態を汚れていると捉えていました。彼女は差別された状態、共同体から汚れたものとして扱われ、社会的に死んだも同然の者として12年間も過ごしていたのです。もう誰も信用できない。医者もお金も何の役にも立たない。彼女の心は深い悲しみと絶望に満ちていました。 しかし彼女はイエスさまの服にでも触れることができれば癒されると希望の光を見つけたのです。ここにこの女性の信仰があります。そして群衆の中に紛れ込んで、誰にもわからないようにそっと後ろからイエスさまの服に触れるのです。すると、触った途端に癒されたのです。イエスさまは自分の内から力が出ていったことに気が付き、「わたしに触れたのは誰だ」と言われました。女性は震えながらも進み出て、ありのままを話します。彼女の病気はすでに治っているので、進み出なくてもよかったはずです。しかし病気が癒されたら、自分の願いが叶ったら、それで全てが解決するわけでないことを彼女は何となくでも分かったのでしょう。彼女に必要だったのは病気が治る事だけではなかったのです。もっと根本的な救い、つまりイエスさまと出会うことが必要だったのです。イエスさまは「あなたの信仰があなたを救った」と声をかけます。そして「安心して行きなさい。」と励ましのメッセージを下さるのです。
 この出来事をヤイロは黙って見ていました。不安な時に黙って見守れるのは、心からの信頼があったからでしょう。しかしそんなヤイロに追い打ちのような情報が入ってきます。「お嬢さんはなくなりました」と。ヤイロは絶望したことでしょう。しかしイエスさまは「恐れることはない。ただ信じなさい。」と語ります。そしてヤイロはこの言葉に従います。その後12歳の娘は奇跡によって復活し、ヤイロの願いも叶いました。
 この物語で癒された女性二人は対照的な十二年間を歩んでいます。差別によって社会的に死んでいた女性と、会堂長の娘として育ったけれども肉体的に死んでしまった女性。どちらの女性もイエスさまとの出会いで死から救われ、豊かな交わりを持つことができるようになったのです。
イエスさまは私たちに、最もふさわしいタイミングで出会ってくださいます。しかもイエスさまから先回りして出会ってくれるのです。近づいて癒されてもどうしていいのか分からなければ、先に誰が私に触れたのかとあえて聞いてくださったり、不安にあふれてどうしていいのか分からない時に、恐れることはないと励ましのメッセージを下さったりするのです。そんなイエスさまとの豊かな交わりを私たちは持っています。
 だから私たちは心に平安をもって歩めるのです。この希望の光を信じ、これからも安心して生きていきましょう。

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