主日礼拝説教 2025年3月9日

テサロニケの信徒への手紙一4章1~12節

「神に喜ばれる生活」

 パウロは、神さまに喜ばれるために歩むことをしなさいと語ります。神さまに喜ばれる生活をする。それが私たちキリスト者の生きる道なのです。まさにその通りです。しかし、一体どうすれば神さまに喜んでいただけるのでしょうか。その疑問への答えとして、「実に、神の御心は、あなたがた聖なる者となることです。」と語ります。わたしたちが聖なる者となること、それが神さまの御心であり、神さまに喜ばれる生活なのです。パウロはこの教えを基本的な主張としています。そもそもレビ記19章2節に「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なるものである。」と語られているように、旧約の時代から必要なことは変わっていないのです。

 ところで「聖なる」とは、「まったく区別された」という意味を持っています。例えば聖なる神さまは創造主であり、私たち人間を含む全ての被造物とはまったく区別された方です。では私たちはどうすれば「聖なる者」になることができるのでしょうか。結論から言いますと、人間の力でどうこうできるものではありません。神さまから聖なる者としていただく必要があるのです。神さまは私たちが聖なる者であることを御心としておられます。そして神さまご自身がそのように私たちに働きかけてくださっているのです。だから私たちはその神さまからの働きかけを素直に受け入れる必要があるのです。

 パウロは具体的な例としてみだらな行いを避けることを挙げています。当時の社会状況として、みだらな行いをはじめ、人間の自然な欲求、本能を縛り付けるのは不自然であると考えられていたようです。しかしもし人間が本能のままにすべてを行ってしまうとどうなるでしょうか。力を持つものが、力を持たないものを苦しめていくことになってしまうのは明白です。そもそも神さまは人間が独りよがりで生きることを良しとされていません。互いに愛し合い、助け合う関係となるものが必要だと教えてくれています。神さまは「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言われました。上下関係なく助ける者、互いに欠けを補い合う、パートナーが必要なのです。私たちに必要なのは互いに愛し合う対等の関係なのです。これを拒むということは、聖なる生活をしようとすることすることを拒むことであり、神さまの御心を拒むことです。そこで大切なのが兄弟愛です。教会員同士の愛の関係です。もちろん兄弟姉妹でも気の合わない人はいます。しかし確実なのは、自分と気が合おうが合わなかろうが、その兄弟姉妹も自分と同じく神さまに等しく神さまの子として愛されているということです。パウロが語る兄弟愛は、自分と同じように相手も神さまの子とされて神さまから等しく愛されていることを知って歩むことです。これこそ神さまに喜ばれる生活です。

 そして、終末願望が強くなりすぎている兄弟姉妹には、自暴自棄にならず、落ち着いた生活をしなさいと語ります。ここで言う落ち着いた状態は、何も問題がない状態のことだけを指しているわけではないのです。例え嵐の中にあっても迫害の中にあっても、動じることなくイエスさまの愛と平和に満たされた状態を指します。そしてキリストの福音の喜びに根ざした状態のこともあります。

 イエスさまは私たちの罪の赦しのために十字架にかかられました。わたしたちはこの福音を信じ、互いに愛し合い、与えられた命を感謝して生き抜きましょう。これこそまさに神さまに喜ばれる生活なのです。

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