主日礼拝説教 2025年3月2日

テサロニケの信徒への手紙一3章6~13節

「喜びにあふれる」
 

 パウロがこの手紙を執筆したのは、テサロニケ再訪を願いながらもそれがかなわなかったので、テモテを派遣したことから始まります。そして今日の個所では、テモテがテサロニケから、パウロの元に帰ってきてよい知らせを聞いたことが記されています。
 テサロニケの教会の人たちは、困難にあってもその信仰を固く守っていました。パウロたちを通して語られたイエスさまの十字架と復活、罪の赦しや神さまの愛は、しっかりと守られ、受け継がれていこうとしているのです。「あなたがたが主にしっかりと結ばれているならば、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」とあるように、この知らせはパウロたちを福音宣教者として生き返らせるほどのうれしい知らせであったのです。この喜びの知らせを聞いたパウロは大きな喜びに満ちあふれ、再び力を得ていることが使徒言行録で推察できます。分かります。パウロがいつもイエスさまこそメシアであると力強く証しすることができるのは、様々な教会の信徒たちの祈りに支えられているからだということがよくわかります。
 

 パウロは力強い福音宣教者です。そして同時に私たちと同じ人間です。時には恐れに取りつかれ、意気消沈してしまうこともあったのです。コリントの信徒への手紙一の2章でパウロは、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」と語っています。パウロは第二回宣教旅行で今まで行くことのなかったマケドニア州やアカイア州に乗り出すことになったのですが、いくつもの町で騒動が起こり、町を去らなくてはなりませんでした。宣教活動が思ったようにいかないことでパウロは不安になり衰弱していたのです。それは正直無理のないことだったはずです。そして、このパウロの不安の中に、テサロニケの教会についての不安が含まれていたのです。彼らが誘惑する者に惑わされ、キリストへの信仰を捨ててしまえば、自分たちは福音宣教者として立つことができなくなってしまう。もしテサロニケの教会の人たちが神さまにしっかりと結ばれていなければ、自分は果たして福音宣教者としてこれからも歩めるのだろうか、神さまの言葉は真実なのだろうかと、神さまを疑ってしまうかもしれないと不安でした。しかしそのようなパウロの不安をあっという間に過ぎ去らせてしまうほど良い知らせがテサロニケの教会の人たちの信仰でした。パウロは神さまからあたえられた使命をしっかりと果たしていることを確信すると同時に、主なる神さまの正しさを再確認する喜びを与えられたのです。テサロニケの教会の人たちを励まそうとしたパウロが、逆にテサロニケの教会の人たちの愛と信仰によって励まされる。そんなことが起こっているのです。励ますつもりが励まされた。これは私たちも日常生活の中で時々体験する出来事ではないでしょうか。困難な人を励まそうとし、その人の信仰を見て共に神さまにつながっていることを確信する。その人の信仰を通して見える神さまの御業によって、私たちの信仰が励まされ、喜びにあふれるのです。イエスさまが「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」と言われた通りです。


 私たちが互いのために、願い求めるならば、私たちは共に神さまの御前に喜びにあふれ、共に神さまに感謝をささげることができるのです。神さまはそんな私たちを必ず喜びで満たしてくれます。

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