主日礼拝説教 2025年2月23日

テサロニケの信徒への手紙一2章17節~3章5節

「信仰を強める」

 パウロはテサロニケの教会の人たちに会いたいと繰り返し願っています。また自分たちはテサロニケの教会の人たちから引き離されていたと語ります。もちろん心が引き離されているわけではないと書いていますが、パウロにとっては不本意なことだったのでしょう。

 パウロはテサロニケの教会の人たちに会えない状況を引き離されていると言いますが、この引き離されるという言葉は、「孤児とされていた」という意味の言葉です。2章の前半ではパウロたちを母親や父親、テサロニケの教会の人たちが子供であるように例えていましたが、今日の個所は逆です。パウロたちを孤児のように親から引き離された子供に例えています。あえて自分たちが孤児とされていると表現することで、親から引き離された子供のようにパウロが寂しくて仕方ないのだと語っているわけです。しかしパウロたちが神さまに祈る時、またテサロニケの教会の人たちもパウロたちのために祈ってくれていると信じるとき、何より共に神さまを見上げて歩むことができていると信じることができるとき、心が離れているわけではないと言い切ることができるのです。私たちの教会にも、様々な理由で礼拝に出席することが難しい兄弟姉妹がいます。けれども、私たちはその方たちに対してもパウロたちと同じく「顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではない」と言うことができるのです。その方たちのことを祈りに覚えるごとに、体は離れていても、心は寄り添うことができるのです。なぜなら、私たちはどこにいようとも、父なる神さまとイエスさまによって結ばれているからです。そしてこの祈りが、なおさらパウロたちがテサロニケの教会の人たちの顔を見たいという熱心な希望をうむのです。その目的は、テサロニケの信徒たちを励まして、信仰を強め、このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのないようにするためです。

 パウロは実際、テサロニケに行こうと計画を立てていますが、それはかないませんでした。そこで代わりに自分の愛弟子であり、右腕でもあり、信頼しあう仲間であるテモテを送るという判断をするのです。パウロは神さまの御業が広がり、テサロニケの教会の人たちが信仰的に強められることを第一にしたのです。

 パウロは彼らの信仰が苦難の中で動揺することを心配していました。テサロニケの人たちはイエスさまを信じたことによって迫害を受けています。私たちも迫害されることはなくとも、他人や自分の中の誘惑により、信仰的に動揺することがあります。

 しかしパウロはそれを堂々と受け止めるよう語ります。そして苦難に会っていることこそが、イエスさまが示された道を歩んでいることを思い起こさせてくれます。イエスさまも十字架という大きな苦難をお受けになられました。これは旧約で預言されていることが実現するためでもありました。それを通してすべての人の罪が赦されたのです。今度はその福音を私たちが宣べ伝えていくのです。内・外問わず誘惑する者によって惑わされそうになることもありますが、その誘惑する者に耐える苦難、試練すらも神さまは信仰を強くする機会としてくださるのです。どんなときにも神さまは私たちを守ってくださっているのです。もちろんパウロたちの宣教旅行の計画がその通りにならなかったり、パウロが行きたいと願っていたテサロニケの教会になかなか行けなかったりと、人間の思いや考えには限界があります。そんな時こそ自分たちの思いではなく、神さまの計画がなされるよう祈りましょう。

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