2025年3月23日 特別伝道礼拝説教

聖書を読むための旧新約聖書のポイント 2/3

講師:吉川清和牧師

「残りの者」

ポイント⑧ シナイ山で律法を授かり、「神の民」として歩み出した彼らが神様から託された使命は、この世にあって「祭司の王国」「聖なる国民」として生きることを通して、神様がアブラハムに約束されたように「すべての民が神様の祝福に入れられる」ことでした。

ポイント⑨ 約束の地カナンに入った直後のイスラエルは「神様への信仰を中心とする12部族の連合体」でした。そして、異部族との対立があった時、神様は「士師」と呼ばれる一代限りのリーダーを遣わすことによってその危機を乗り越えさせられました。その出来事の背景には、「神様こそが神の民のリーダー(王)である」という信仰的理由があります。しかし、一代限りのリーダーでは手に負えないと思われる強敵(ペリシテ)が現れた時、イスラエルの民は「士師」では不安だとの思いに捕らわれ、自分たちもペリシテと同じように「世襲の王」を中心として結束すること以外にペリシテに対抗出来ないのではないかとの恐れに駆られ、当時の預言者サムエルを介して神様にそのことを強く求めました。そんな彼らの行動は、神に対する不信任(不信仰)です。しかし、神様は人間が王になるとどのような結果を伴うかを忠告した上で、「人間」を王にすることをお認めになりました。こうしてイスラエルは「王国」と呼ばれる政治体制となりました。中でも、ダビデ王やソロモン王は有名な王様です。しかし、「神の民イスラエル」にとって、「本当の王様は神様である」ことはイスラエルの体制がどのように変化しようとも変わることのない事実です。

ポイント⑩ さて、約束の地に入り王国となった「神の民イスラエル」が辿った道は、神様の期待とは裏腹に「偶像礼拝」の繰り返しでした。王国となった後、歴代の王たちの多くは「偶像礼拝」と「社会的不正義」を繰り返し、神から託された「神の民としての使命」に忠実であったとはとても言えません。そこで、神様は何人もの「預言者」をイスラエルの民に遣わし、あるべき「神の民」の姿に立ち返ることを求められました。そんな預言者が語ったのは「悔い改め」であり「裁き」でした。

ポイント⑪ しかし、イスラエルの王も民もごく一部の例外を除いて預言者の忠告に耳を傾けることなく、結局「神の裁き」が「北イスラエル王国のアッシリア捕囚」(BC721)、南ユダ王国の「バビロン捕囚」(BC597.587)という形となって与えられたのでした。

ポイント⑫ ところが、神様は預言者を通して「悔い改め」と「裁き」を語るだけではなく、「慰め」と「希望」をも語られました。例えば、イザヤによる「残りの者の帰還」(イザヤ書49章6節)であり「主のしもべの歌」(イザヤ42章1~9節、49章1~13節、50章1~11節、52章13節~53章12節)と呼ばれる預言です。とりわけ、「主のしもべの歌」の中の「苦難のしもべの歌」(52章13節~53章12節)は、「主イエス・キリストの十字架の死」において成就する内容であり、さらに、エレミヤによる「新しい契約」(エレミヤ書31章31~36節)という預言も新約において成就したということが出来ます。

ポイント⑬ さて、ポイント⑫で触れた預言者イザヤによる「残りの者の帰還」(イザヤ書49章6節)が人間の予想もしない形で現実のものとなりました。それは、バビロン帝国を滅ぼしイスラエルの新しい支配者となったペルシャ王キュロスが、バビロン捕囚として連れて来られたイスラエルの民に「故郷への帰還」を認め、同時に、バビロン捕囚の時に戦利品として奪われた祭具の返還や、破壊されたエルサレム神殿の再建事業を後押しする勅令を出したのでした。これを受けて、捕囚の民の中の志あるは故郷へ戻り神殿を新たに建て直すとともに、捕囚時に破壊されたエルサレム城壁を復旧し、さらには神の民としての信仰的支柱である律法の復活を目指したのでした。

ポイント⑭ そして、神殿が再建され城壁も復旧したのは良かったと言えますが、律法の復活については律法が本来意図したこととは違う方向へと向かい、後に主イエスから「形式的律法主義」と批判を受けることになってしまったのでした(マルコ福音書7章6~13節)。

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