2025年3月16日 特別伝道礼拝説教

聖書を読むための旧新約聖書のポイント 1/3

講師:吉川清和牧師

「神様の宝物」

聖書を理解するには、聖書全体の枠組みについて知っていることが有益です。これから3回にわたり、その枠組みをお示しすると共に、併せて聖書を理解するための要となる箇所についての説明をします。

ポイント① 聖書の記述の大部分は、神様が罪びとを救うためにどのように働きかけてくださったのか(How)についてですが、聖書の最初の箇所(創世記1~11章)は「なぜ人は神の救いを必要とするのか」(Why)について語っています。聖書全体からすればそのことについて触れている分量は微々たるものでしかありませんが、しかしそこで語られている「天地創造物語」や「人の堕罪物語」の持つ意味は、聖書全体を理解する上で不可欠なものです。

ポイント② 天地創造物語が創世記1章1節以下に書かれていますが、「初めに、神は天地を創造された」(創世記1章1節)との言葉の持つ意味を仮に新聞に譬えるならば、「大見出し」であると言えます。2節以降の具体的な創造記事はその「大見出し」を説明するための本文の記事です。すなわち、創世記1章1節は「存在するものの根拠は神にある」ことを聖書の冒頭で宣言しているのです。

ポイント③ 安息日を除く6日にわたる創造行為の中で一番最後に造られたのは「人」でした。すなわち、神は「人」が生きていける環境をまず整えた後で「人」を創造なさいました。ここから読み取れることは、天地創造の目的は「人」の創造にあったということです。

ポイント④ それでは、「天地創造の目的として造られた人」とはどのような存在なのでしょうか。そのことについて、聖書は次の3つのことを記しています。

  1. 「神は人をご自身に似せて造られた」(創世記1章26節)
  2. 「神は被造物の支配を人に委ねられた」(創世記1章26節)
  3. 「神は人に命の息を吹き入れられた」(創世記2章7節)

私たちは「人」を生物学的な意味で理解しがちですが、聖書は上記の要件を保持している存在がすなわち「神の創造の目的としての人」であると記しています。上記の3つの要件の内、「神は人をご自身に似せて造られた」とは、「神との間で応答関係にある」との意味だと理解してよいでしょう。被造物の中で唯一、人は神様とのコミュニケーションが成立つものとして造られている存在なのです。しかし、残念ながら「罪」の故に人はそれらを失くしてしまいました。それが罪びととしての私たちの姿です。

ポイント⑤ 神は、神様との応答関係にあるものとしてお造りになった人をエデンの園に置き「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創世記2章16~17節)と言われました。しかし、アダムとエバは蛇の誘惑により、神様のみ言葉に背いてしまいました。その時、アダムは責任逃れのために神様とエバを非難し、エバは蛇に責任転嫁しました。ここで描かれているのは、人が神の言葉を退けたことによって生じた「神と人」そして、「人と人」との「関係の壊れ」についてです。創世記1章31節には「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」とあります。「神と人」「人と人」との関係も然りです。ところが、人が神のみ言葉を退けたことにより「良い関係」が壊れてしまいました。そこで生じていることは「人」にとって「命を与え生きる者としてくださった神」よりも、「神によって造られた存在である自分」が何よりも大切であり、その結果として、人は「自分を物事の中心にしてしか生きられなくなった(「自分」が神になった)」のです。マルティン・ルターはそのような罪びとの姿を「人は自分の内側へとねじ曲がっている」と言っています。

ポイント⑥ では、壊れてしまった神様と人との関係は、ずっと壊れたままなのでしようか。罪びとはいつまでも罪びとして生き、そして死んでいくしかないのでしょうか。関係回復の術はないのでしょうか。残念ながら、被造物である人間の方から造り主である神様に届く救いの梯子など架けるられようはずもありません。しかし、そんな罪びとのために「神様の方から救いの手を差し伸べてくださったことが、創世記12章のアブラハムの召命の物語から語り始められるのでした。神様は罪びとの中に「神の民」を作り、彼らを「救いの基」とすることを通してすべての罪びととの関係回復を図り、神の救いに入れようとされたのでした。そんな神様の恵みがアブラハムに与えられ、そしてその子孫たちの上に託されたのです。彼らがその恵みにどのように導かれていったのかが創世記12章以下に記されている「神の救いの歴史」です。

ポイント⑦ 救いの基となるべきイスラエルの民がエジプトで奴隷として苦しんでいた時、神様は彼らの叫びに応えてモーセを神の御用のために召し出し、彼を用いてエジプトから導き出し、シナイ山で「神の民」としての契約を交わし(シナイ契約)、彼らに律法をお与えになりました。この時から神の民は神の恵みから逸れないように律法の導きに従って歩むことが求められたのでした。

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