ヨハネの黙示録 7章9~17節
「涙をぬぐわれる神」
ヨハネの黙示録は迫害に苦しむ教会に宛てて書かれたものと考えられています。紀元90年ごろ、アジア州、現在のトルコあたりの諸教会はローマ帝国の迫害に苦しんでいました。皇帝ドミティアヌスは自身の巨大な像を作って帝国各地に配置して拝むように命令を出したのです。これは皇帝礼拝を強制し、従わない者を排除していく国策でした。しかしこれは神さまではないものを神とする偶像礼拝であり、キリスト者たちはこれを拒否しました。その結果多くの者が投獄され、ある者は殺されます。また、ユダヤ戦争やエルサレム陥落など、キリスト者にとって苦しい時代でした。「神さまは何故私たちを助けてくれないのか」と叫び、信仰が揺らぐこともあったでしょう。その時、パトモスという島に流されていたヨハネという人物が神さまの幻に接し、見た幻を神さまの指示通り手紙に書き記し、迫害に苦しむ諸教会に送りました。幻を描いていますから、一見わかりにくいように見えますが、これは苦しみ悩む民たちに宛てた、神さまからの慰めと励まし、そして究極の希望のメッセージだったのです。 今日の個所には、イエスさまに従って死んでいった者たちが、神さまの僕の刻印を押されて、玉座の前に集まり、賛美している様子が描かれています。地上では迫害の嵐が吹き荒れていますが、天では神さまを賛美する声が大声で叫ばれています。そして天使たちも賛美を歌います。さらに天の長老が著者ヨハネに、「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、(中略)神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる」と語るのです。ここから、天の玉座の前で賛美をしている人たちは、地上では飢え渇きに苦しみ、涙を流して来たことが分かります。しかし天ではもう飢えも渇きも涙もありません。大勢の人が玉座の前で賛美をし、また天使の歌声を聞いた著者ヨハネは地上の教会に「今あなたたちは飢え渇き、涙を流している。しかし、天上ではそのような苦しみはもうない。地上の力は肉の命を奪うことは出来るかも知れないが、私たちは永遠の命が神さまにより与えられているのだ」と書き記すのです。
キリスト者たちは迫害を受けました。まさにイエスさまが「世はあなた方を憎む」と預言された通りです。しかし私たちは世の所有物ではありません。神さまに愛された神さまの民の一人です。生きていても、死んでいても、私たちは神さまに愛されたものであり、その本国は天にあるのです。イエスさまの十字架と復活によって、それは明らかにされました。
今の時代は、信仰を迫害されることも少なく、信仰を守ることがこの文書が書かれた時代と比べますと、そこまで苦しい時代ではなくなりました。しかし、迫害がないからといって、悩むことや苦しむことが全くないのかというと、当然そうではありません。信仰を守ること以外にも苦痛なことや忍耐せざるを得ないことはたくさんあります。愛する人との別れもそうです。私たちは日々どこかで悩み苦しみ、涙を流しているのです。
しかし私たちには大きな希望が与えられています。死の力にイエスさまは打ち勝たれました。イエスさまは神さまと私との関係を回復させてくださり、永遠の命を与えてくださったのです。私たちの涙をぬぐい去ってくださったのです。この大きな希望と喜びを、福音を先に天に召された兄弟姉妹たちは与えられた様々な賜物を用いて私たちに語り、そして今も伝え続けています。兄弟姉妹が私たちに教えてくれた良いものを活かし、大切に守りながら大きな希望に満ちて、信仰生活を過ごしていきましょう。
主日礼拝説教 召天者記念礼拝 2025年11月2日
礼拝説教