主日礼拝説教 2025年9月21日

マルコによる福音書 4章1~20節
「種をまく人」

 種をまく人のたとえを話された後、弟子たちがたとえについて質問しました。それに対してイエスさまは「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々にはすべてがたとえで示される。彼らが見るにはみるが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして立ち帰って赦されることのないようになるため」と言うのです。これはイザヤ書6章に由来する言葉です。イザヤは神さまが、「誰を遣わすべきか。誰が我々に変わって行くだろうか」と言っておられる声を聞いて、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」と言いました。すると神さまは、「この民に言うがよい、よく聞け、しかし理解するな、よく見よ、しかし悟るな。この民の心をかたくなにし、耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく、その心で理解することなく、悔い改めていやされることのないために」という不思議なことを言えとイザヤに命じたのです。
 神さまの言葉と聞くと、自分たちにとって喜ばしい知らせだと私たちは期待します。しかし預言者たちが語った言葉はそれだけではありません。このままでは滅びるから悔い改めろといった強い内容の言葉も預言者たちは語るのです。それは皆が喜んで聞ける言葉ではありませんでした。
 イエスさまは「自分たちは賢いから、自分の力で神の国を理解し、悟ったのだ」と誇ることがない状態を作り出されたのです。申命記8:17で、「あなたは、『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない」と警告されていることがここにつながってくるのです。救いは人間の力ではなく、神さまの選びによって最もふさわしいときに実現するのだということが語られるのです。イザヤやイエスさまの語る福音がすぐ受け入れられなかったのも、神さまの御心だったのです。
分かりやすい話は必ず受け入れられるというわけではありません。種をまく人のたとえは、心に残りやすいですが、解釈は極めて困難です。ほかのたとえ話の中にも、内容は分かりやすいが、実行するのは難しいと感じる教えもたくさんあります。例えば良いサマリア人のたとえなども、分かりやすく感動的ですが、今自分が同じようにできるかというと、何とも言えません。
私たちの心にまかれた種はどのように育つでしょうか。岩場なので育たないのでしょうか。良い土地だから百倍になるのでしょうか。それは神さまにしか分かりません。
神さまによって種がまかれた私たちの使命は、すぐに百倍の実を結ぶことではありません。まず私たちに与えられた使命は、神さまの御心を、愛を共に分かち合うことです。残念ながら私たち人間は、自分の無力さや罪深さを思い知らされるまで、福音を心で理解することができない傾向があります。
 しかしそれは御言葉が無力なのではありません。イエスさまのたとえを用いて語られるメッセージは、分かり易く、心に残り易いのですが、時が来なければ心の底に落ちにくいものなのです。イエスさまは弟子たちに対して、「良い地になれ」とは命じませんでした。それよりも、神さまのみ言葉が百倍の実を結ぶ時代が到来したことを告げたのです。蒔かれた福音の種は、神さまのご計画通り、神さまの愛によって実りだしたのです。
 御言葉はいつも私たちにとって都合のいいものではありません。しかし神さまがまいてくださってよい種であることは確実です。だから聖書の語る神さまの御言葉にもう一度心を向けましょう。その時、私たちの心は良い土地へと変わっていくはずです。

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