主日礼拝説教 2025年9月14日

マルコによる福音書3章13~35節
「主につながる者」
 今日の個所ではイエスさまの身内、家族が登場しています。イエスさまはクリスマス物語から長男であることが分かります。そして4人の弟と少なくとも2人の妹がいたと言われます。そして父ヨセフは、イエスさまが10代のころに亡くなったと考えられていますので、そのころからイエスさまは長男として、一家の生計を立てるために、大工仕事をしていたことになります。そして30代で宣教を始められます。しかし家族から見れば、長男が家の責任を放棄して家を出たように見えます。しかもその長男は律法学者たちから、「気が変になっている」と非難されているわけです。これは何とかしなければいけないと思ったのでしょう。家族がイエスさまを取り押さえに来たのです。偉い学者さんが言う「あの人は狂っている」と、飛び出してしまった長男の言う「悔い改めて福音を信じなさい」。どちらを信じ理解するのか。私たちはイエスさまですと言えますが、この状況でのイエスさまの家族は息子の行為を理解できなかったに違いありません。
 ベルゼブル論争の後、誰かがイエスさまに、「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と伝えましたが、それに対してイエスさまは「私の母、私の兄弟とはだれか」と答えられます。血縁を大事にし、家族が共同体の核として暮らしていたユダヤ人にはあまりに過激な言葉です。言われた家族だけでなく、周りにいた大勢の人たちも驚いたことでしょう。しかしイエスさまは続けて集まっている大勢の人たちを見回し、「見なさい。ここに私の母、私の兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」と宣言されました。血の繋がった者だけが家族ではなく、信仰で繋がった家族、神さまの家族がここにいると宣言されたのです。
 神さまの目から見れば、イエスさまの家族の行動は福音宣教の御業の妨害行為となります。だからこそイエスさまは、実の家族にさえ厳しく接され、神さまの御心を行う人を家族と呼んだのです。そしてイエスさまは、十字架にかかられることになります。その場にはイエスさまの家族も弟子も不在でした。イエスさまは家族にも弟子たちにも捨てられて死んでいかれたのです。しかしそれで終わりませんでした。イエスさまの復活を通して、イエスさまこそ神の子であると信じる群れ、教会ができていくのです。人々は共に集まり、共に祈りました。その群れの中に、かつてはイエスさまを受け入れることが出来なかったイエスさまの実の家族も招かれています。「イエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた(使1:14)」と、はっきり書かれています。イエスさまの十字架と復活によって、かたくなだったイエスさまの実の家族たちの心が砕かれた奇跡を見ることができます。イエスさまは誰一人見捨てることなく愛を伝えてくださるのです。私たちも例外ではありません。すべての人に対して、私に従いなさい、共に神さまの御心を行い、主にあって家族となろうと声をかけてくださるのです。そんな神さまの家族が集う場所、それが教会です。
 しかし神さまの家族とされても、地上の教会は不完全な群れです。弟子たちが逃げ去ったように、教会を離れる人がいるかもしれません。しかし、離散した弟子たちが再び集められたように、教会を離れた人々もやがて神さまのもとに戻って来ます。必ず神さまのもとに戻る道が用意され、その道をその人が歩まれるように私たちは祈るです。感謝をもって神さまの家族、主につながる者として私たちも互いに祈り歩んでいきましょう。

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