主日礼拝説教 2025年8月10日

マルコによる福音書 2章18~22節

「新しい革袋」

 旧約の時代、イスラエルの民は断食を、罪を悔い改める行為として民全体で行っていました。新約の時代になると、贖罪日以外にも断食を行う人たちもいました。ファリサイ派の人たちをはじめ、宗教熱心な人々と言われる人で、彼らは月曜日と木曜日にも断食をしていました。また、バプテスマのヨハネやその弟子たちは、神さまのさばきを免れるために時折断食をして神さまに祈っていました。
 それを見た人たちは、断食をしていないイエスさまやその弟子たちに、なぜあなたたちは断食しないのかと聞きます。するとイエスさまは、花婿に付き添う友人によるたとえで説明をしました。当時のユダヤの習慣では、結婚するにあたり、花婿と彼に付き添う友人たちが、花嫁を迎えに行きました。そして、花婿と付き添いの友人が一緒にいる間は、花嫁と対面する前のしあわせの時であり、楽しいひと時だったのです。そんな時に、断食をする友人がいたとしたら、それは場違いな事をしていることになります。ですから、ユダヤの結婚式を知っている人にとっては、花婿に付き添う友人たちと花婿が一緒にいる間は、決して悲しい 雰囲気にしてはならないという事は、誰でも理解できたのです。
 もちろんここでのたとえの花婿はイエスさま、友人たちは弟子たちのことを指しています。花婿であるイエスさまがこの世に来られて宣教活動をしている今のこの時は、喜びの時であって、断食をする時ではないと言うのです。
 続けて布とぶどう酒の話をされました。新しい布切れを古い服の継ぎに当てるならば、新しい布切れが古い服を引き裂きます。また、新しいぶどう酒は発酵する力が強いので、弾力性のない古い革袋に入れてしまえば、破れてしまいます。ここでイエスさまが言われていることは、当時の人々がよく知っていたことです。しかしそのよく知っているはずのことを、人々はしていると言います。イエスさまによって、神さまの国の喜びが到来しているのに、人々は、神の国がまだ来ていないかのような生活をしていたわけです。
 古い方が良いものもたくさんあります。しかし古いものに固執し続けると、新しいものを受け入れられなくなります。そのままでは新しい布に引き裂かれてしまう布に、新しいぶどう酒に破られてしまう革袋になってしまうのです。
 イエスさまは私たちの罪をその十字架によって赦してくださり、私たちに新しいいのちを与えてくださいました。その限りのない愛と恵みを受け、みことばと聖霊の助けによって、私たちの心は作り変えられ、行いに変化が起こり始めていくのです。
私たちに与えられた新しいいのちと、これまで大切にしてきた古い生き方は性質が異なっています。だから新しいいのちを与えられた私たちが、古い生き方を続けようとすることは良くないとイエスさまは言われるのです。
 断食一つとっても、私たちは過去の慣例などに従って新しいものを受け入れずにそのまま続けたくなります。しかし、新しいものや考え方を否定し、前例や過去の価値観を引きずる限り、私たちは新しいぶどう酒を受け止められない古い革袋のままです。
 昔を懐かしむ時も大切ですし、過去を否定する必要もありません。しかし、イエスさまが私たちを新しい革袋に変えてくださったことも同じく重要なことです。このことに感謝し、イエスさまによってもたらされた新しい喜びを、新しいぶどう酒を受け入れる新しいものとして、過去と同じく今や未来を大切にこれからも歩んでいきましょう。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました