主日礼拝説教 2025年7月27日

マルコによる福音書 2章1~12節
「あなたの罪は赦される」

 もしどんな病気や怪我も治すことができる人がいたとすれば、その人のもとには連日人がごった返すほど訪れることでしょう。誰でも何かしら体や心の悩みは持っています。医学が発達している現代でもそう予想できますので、新約の時代ならもっと大変なことになったことでしょう。
 実際、イエスさまのもとには隙間もないほど人がいたと書かれています。癒すことのできる方のところに癒されたい人が集まる。当たり前のことのように思えます。イエスさまはその癒しの奇跡を通して、神さまの権威と力を証しされておられました。そこで人々は神さまの権威と力を見たのです。そのようなものを見ることは恐ろしいことでした。預言者イザヤも聖なる神さまの力を見たとき、「災いだ。わたしは滅ぼされる」と叫んでいます。しかしそれでもイエスさまのもとには人が集まってきたのです。それは彼らがイエスさまの奇跡を通して触れたのは、単なる裁きの神さまではなかったからです。彼らがそこに見たのは憐れみの神さま、救いの神さまです。イエスさまが権威をもって教えておられたのたのは、何よりも神さまの 救いの到来であったに違いありません。そこで人々が聞いたのは、罪を赦し、憐れんでくださり、救ってくださる神さまなのです。
 中風の人と、その人を連れてきた四人の人も、癒されたかったという思いはもちろんですが、憐みの神さまの権威に出会いたく思い、イエスさまのところに来たことでしょう。病気になれば、「あなたの病気はあなたの罪のゆえだ」と言われる社会に生きているのです。そこで「自分は絶対に潔白だ」と言い切れる人は、少ないです。ひょっとしたらと思い当たる節が小さいことでもあるでしょう。だから彼らはイエスさまのもとに来たのです。彼らは何よりもイエスさまに近づきたくて来たのです。そこで憐れみの神さま、救いの神さまに出会うために、彼らは屋根に穴をあけたのです。
 イエスさまはその行為の中に、彼らの信仰を見ました。福音を信じる信仰を見たのです。だからイエスさまは、彼らが一番聞きたかった言葉を、神さまの権威をもって宣言したのです。「子よ、あなたの罪は赦される」。「今、ここにおいて、あなたの罪は赦される」と力強く語るのです。そこで中風の人も、連れてきた四人の人も、憐れみの神さま、救いの神さまに出会っているのです。同時にその集会に集まっている人々もまた、そこで憐れみの神さま、救いの神さまに出会っているのです。
 この「あなたの罪は赦される」というイエスさまの宣言はとても重いものです。それは簡単に口に出来ない言葉であることをイエスさまは知っておられたのです。それを口にするならばどうなるのか。どのような犠牲を自分が払わなくてはならないのか。そのことをご存じだったのです。イエスさまは、罪の赦しを神さまの権威をもって宣言しました。しかし、イエスさまは知っているのです。神さまは罪の赦しを与えるために、その独り子を十字架につけるということを。イエスさまはその神さまの御心に生きる独り子として、罪を贖う神さまの独り子として、罪の赦しを宣言しているのです。そのようなイエスさまのもとに、私たちも集まっています。ただ単に癒されたいからではありません。この方のもとでこそ、私たちは救いの神さまに出会うからです。私たちは神さまの憐れみの中を生き続け、どこまでも希望をもって生きることができるからです。ここにこの世が癒しと呼ぶものよりも、もっと深い根源的な癒し、私たちすべての人に必要な癒し・赦しがあるのです。

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