主日礼拝説教 2025年6月8日 ペンテコステ

使徒言行録 2章1~13節

「どういうことなのか」

 ペンテコステの出来事は、今日ともにお読みしました使徒言行録2章に詳しく記されています。話は五旬節の祭りの日の朝、「女性も含めたイエスの弟子たち一同が一つになって集まっていた」ところ始まります。そして激しい風が吹いてくるような音が家いっぱいに響きわたります。この「風」(プニューマ)というギリシャ語には「息」「霊」という意味があります。ですので「風が吹いた」というのは、神さまの臨在がそこにあるということを表してもいます。ユダヤ人たちにはそのような、風が吹いたり鳴ったりする時に、霊を直感的に感じ、神さまの霊に思いを馳せていたようです。
ルカによる福音書24:49でイエスさまが命じられた、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所から力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」という言葉を守っていた弟子たちは、一つになって集まっていました。そこに聖霊が降ったのです。しかもそれは「一人一人」にとどまったのです。聖霊は、ただ教会全体に抽象的に注がれたのではなく、具体的に、個別に、一人一人の上にとどまったとはっきり書かれています。
 これがどれほど希望に満ちた出来事か、皆さん、ぜひ想像してみてください。ペトロのような大胆な者にも、トマスのように疑い深い者にも、ヨハネのように静かな愛の人にも、くじで選ばれて、新しく十二使徒の仲間になったばかりのマティアにも、みな等しく、聖霊が宿ったのです。性格も背景も異なる彼ら一人一人を、神さまは個別に選び、聖霊を注いでくださったのです。皆が神さまに必要とされているのです。
 この出来事は、今を生きる私たちにも通じています。私たちは、教会に属していても、「自分なんて小さな存在だ」と感じることがあるかもしれません。けれども、ペンテコステの出来事は、そういう思いを打ち砕いてくれます。神さまの霊は、すべての信じる者の上に、分け隔てなく、豊かに注がれているのです。神さまは、私たち一人一人を取るに足りない存在として見ておられません。むしろ必要な大切な存在として愛してくださり、目をとめてくだっています。そして今なお聖霊を送られ、「わたしはあなたと共にいる」と語りかけてくださるのです。
 ところでこの時、様々な場所を出身地とした人たちが集まっており、皆が自分の故郷の言葉を聞いて驚いています。神さまは信じる人たちにとって最も分かりやすく心に響く言語で、弟子たちを用いて語り掛けて下さったのです。出身地や言語の違いなど神さまには関係がないのです。生きる時代もそうです。聖書は私たちにも神さまが聖霊を送ってくださっていることを語ります。文化、言語だけでなく聖霊に満たされることによって、神さまを共に信じ、賛美することで、人々が違いを超えて、理解と交わり持つことができるようにしてくださったのです。
 聖霊は、弟子たちに大きな力を与えました。ペトロが力強く語っていることからも分かります。この変化は、聖霊が与える力の証です。私たちは、自分の力だけでは、福音を伝えることなどできません。誰かに信仰を語るのは怖いし、何を言ってよいのか分からない。けれども、聖霊は、私たちに語るべき言葉を与えてくれます。私たちに必要なのは信じて祈ることだけです。
 神さまは様々な違いを超え、私たちを必要な器として用いてくださっています。どうかこのペンテコステの恵みに感謝し「恐れるな、わたしが共にいる」と語ってくださる神さまを、信じ、祈りをもって宣べ伝えていきましょう。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました