テサロニケの信徒への手紙二 2章13~17節
「救われるべき者の初穂」
神さまはテサロニケの教会の人たちを救われるべき者の初穂としてお選びになったとパウロは語ります。「初穂」とは最初の収穫であり、それに続く収穫の品質を保証するものです。パウロは、コリントの信徒への手紙一15章20節で、「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」と書いています。イエスさまは初穂として、朽ちることのない栄光の体で復活されました。だからイエスさまを信じて眠りについた人たちも、同じく朽ちることのない栄光の体で復活することになるというのです。初穂ということは、テサロニケの信徒たちに続いてイエスさまを信じて救われる者たちがいることを前提にしています。テサロニケの信徒たちは、これからイエスさまを信じて救われる人々の最初の収穫、その保証として選ばれた者たちであるのです。そして、同じことが私たちにおいても言えます。パウロは「あなたがた」という言葉を、テサロニケの教会の人たちを念頭に置きながら書いたと思われますが、その範囲はテサロニケの教会の人たちに限定されません。聖書は今でもこうして同じ神さまを見上げて共に賛美し、イエスさまの福音を信じて宣べ伝えているすべてのキリスト者に対して「あなたがた」と語っているのです。
私たちもこれからイエスさまを信じて救われる人の初穂として選ばれた者たちです。私たちは、これから救われる人たちの最初の収穫、保証として、礼拝をささげ、イエスさまの福音を宣べ伝えているのです。
神さまはテサロニケの信徒たちを、パウロの福音宣教を通して、御もとに招いてくださいました。それはテサロニケの信徒たちが、パウロたちの主であるイエスさまの栄光にあずかるためであったのです。そして、神さまは、テサロニケの信徒たちの福音宣教を用いて、まだ見ぬ選びの民を御もとへと招かれるのです。同じことが私たちにおいても言えます。私たちも、私たちより先にイエスさまを信じた人たちの福音宣教を通して、救いにあずかることができました。そして、神さまはその私たちを用いて、まだ見ぬ選びの民を御もとへと招かれるのです。
そして同時に思い出したいのは、テサロニケの教会の人たちの中にも分別を無くして慌てふためいたり怠惰な生活を送っていたりしていた人たちがいたということです。彼らもまた、主に愛されている兄弟の一人なのです。そして彼らもまた、救われるべき者の初穂として神さまに選ばれたものなのです。だからこそパウロは怠惰な生活を止めるよう語るのです。
神さまは福音を通してイエスさまの栄光にあずからせるために私たちを招いてくださいました。このことは、イエスさまを礼拝している私たちのうえに、既に実現しています。また神さまは、その独り子をお与えになったほど、私たち一人一人を愛してくださいましたし、今も愛してくださっています。そしてイエスさまを復活させられ、復活したイエスさまの聖霊を与えることによって、永遠の命という確かな希望を恵みとして与えてくださいました。そのような父なる神さまとイエスさまに、パウロは「どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」と祈るのです。このあなたがたの中に、私たちも含まれています。私たちがイエスさまを救い主と信じたことも、また、信じ続けることも、初穂として、神の子として歩む生活も、すべては神さまの恵みであるのです。そのことを信じて、私たちは互いのために執り成しの祈りをささげて歩んでいきたいと願います。
主日礼拝説教 2025年5月18日
礼拝説教