テサロニケの信徒への手紙一 2章13~16節
「神に喜ばれる」
パウロはテサロニケの信徒への手紙一の冒頭で過去にテサロニケで伝道したときのことを神さまに感謝し、今日の個所ではその伝道によって現在テサロニケの教会の人たちがしっかりと歩んでいることを感謝します。そして続く3章ではテサロニケの教会の人たちの信仰によって与えられた喜びを、どのような感謝をもって神さまに応えたらよいだろうかと将来の感謝についても言及しています。さらに手紙の最後に、あの有名な聖句「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」をつづっています。とにかく喜び喜び、感謝感謝です。これがパウロの信仰者としての在り方です。
パウロが絶えず神さまに感謝している理由として、パウロたちが語ったことをテサロニケの信徒たちが人の言葉としてではなく、神さまの言葉として受け入れたという点が挙げられています。パウロたちはテサロニケで伝道したとき、もちろん人の言葉、ギリシャ語を使って伝道していました。なにか神秘的な人間には理解できないような天上の言葉を話したわけではありません。そのパウロたちが伝えたことをテサロニケの人たちは神さまの言葉として受け取ったのです。テサロニケにいた一部の人たちは、パウロたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものであり、ごまかしであると非難していました。しかしそんな中でもテサロニケの教会の人たちはパウロたちの宣教を、人の言葉としてではなく、神さまの言葉として受け入れたのです。これはテサロニケの人たちがパウロたちをイエスさまから遣わされたものとして信じたということにもつながります。イエスさまは、「わたしの遣わす者、わたしの使徒を受け入れる人は、わたしを受け入れるのだ」と弟子たちに語られていました。テサロニケの信徒たちは、パウロの語る言葉を受け入れたとき、パウロを遣わされたイエスさまの言葉を受け入れたことになります。そして彼らは、パウロを通して語られたイエスさまの言葉を受け入れることによって、神さまの言葉を受け入れたのです。
神さまの言葉は空しい言葉ではなく、神さまの望むことを必ず成し遂げる言葉です。私たちが神さまの言葉を受け入れるとき、神さまの言葉が私たちを神さまの望まれる者へと造り変えてくださるということが起こるのです。語る者も聞く者も、聖霊の働きによって変えられていくのです。私たちは、神さまからの霊を受けました。その聖霊によって神さまから恵みとして与えられたものを知るようになったのです。そして、私たちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、聖霊に教えられた言葉によっています。つまり、神さまによって神さまのことを説明するのです。パウロたちが語った言葉は聖霊によって語らされた言葉とも言い換えることができます。この聖霊の働きは、イエスさまへの信仰という形で証しされます。だから信仰をもって聞かなければ、神さまの言葉を、神さまの言葉として聞くことができないとも言えます。
聖霊は神さまの言葉を通して働き、語る者も聞く者も造り変えてくださいます。だから私たちは聖霊の働きを信じ祈りつつ、根気よく福音を語り続けることができるのです。私たちは自分を満足させるために人の言葉で礼拝をしているのではありません。聖霊によって神さまによって神さまの言葉で神さまに喜ばれる礼拝を私たちは守っています。この大きな恵みと喜びを、私たちもまた聖霊によって強められたものとして、人の言葉ではなく神さまの御言葉として告げ知らせていきましょう。
