主日礼拝説教 2025年11月16日

マルコによる福音書6章14~29節
「王になりたい」

 ヘロデという名前の人は聖書にたくさん登場します。今日の個所で登場しているヘロデは、ヘロデ・アンティパスというガリラヤの領主です。ヘロデというと、マタイによる福音書の誕生物語において、イエスさまがお生まれになった時に幼児殺害の命令を出したヘロデがとくに有名かと思いますが、あの人はヘロデ大王と呼ばれる人で、ヘロデ・アンティパス(以下ヘロデ)はその息子にあたります。そして彼の妻はへロディアです。
 このヘロデとへロディアの結婚を洗礼者ヨハネは律法違反だと指摘しました。へロディアはヘロデの兄弟の元妻だったからです。そこでヘロデは洗礼者ヨハネを捕らえるのですが、簡単に殺すことをしませんでした。それは、ヘロデ自身も洗礼者ヨハネが聖なる人であることを知っていたからであるからです。ヘロデは彼を恐れ、保護し、またその口から語られる神さまの御言葉に喜んで耳を傾けていたようです。ひょっとすると、ヘロデはヨハネを自分自身の牧会者として、このような形で招き入れたのかもしれません。しかしこれを大いに不満に思ったのが、妻へロディアでした。ヘロデの誕生日、高官や地元の有力者が招かれて宴が行われます。するとヘロディアの娘が入ってきて踊りを踊ります。これはヘロデにも客にも非常に喜ばれました。そこでヘロデは「欲しいものがあれば何でも言いなさい」と言います。すると、少女は母親に相談に行き「洗礼者ヨハネの首を」を求めました。頼まれたヘロデは非常に困りましたが、衛兵に洗礼者ヨハネの首を持ってくるように命じます。そして洗礼者ヨハネは首を切られ、亡くなります。
 この物語は絵画や戯曲などで有名ですが、今回はヘロデが何と著者に呼ばれているかに注目します。彼は14節ではヘロデ王と呼ばれ、それからヘロデになります。そして22節以降は王と呼ばれています。ヘロデはあくまで領主ですので王ではありません。彼が王と呼ばれるようになるのは娘に何でも欲しいものを言いなさいと言ったところからです。ここから態度が変わっています。それまでは洗礼者ヨハネの言葉に耳を傾ける人であったのに、急に権力者、王様のような発言をしたときです。王を演じる人と言ってもいいと思います。娘や誕生日の祝いに来てくれた偉い人にそのように見て欲しかったのでしょうか。王を演じなければという願いが洗礼者ヨハネを殺してしまう結果を招いたのです。だからこそ彼はイエスさまのうわさを聞き、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」と言ったのでしょう。
 私たちは王にはなれませんが、時にヘロデと同じく王を演じます。自分の空間、時間、考えを広げ、自分は偉い、すごいと他人や神さまに誇ります。そして本当に大切なものを失ってしまいます。ヘロデは神さまの御言葉に耳を傾けた人でしたが、王でありたいと願ってそれを捨ててしまいました。私たちも聖書を通して神さまの言葉を聞き、またイエスさまに従って歩もうとしています。しかしヘロデと同じく自分が王になりたい、と気が付けば願ってしまう弱さや強情さを抱えているのです。
先駆者である洗礼者ヨハネは王を演じるヘロデによって殺されました。しかし神さまは沈黙されません。後にイエスさまによって人々に再び語り掛けられます。私たちの強情さなどはるかに超えて、神さまの愛は大きいのです。私たちはこの大きな愛に感謝し、強情な王を演じる自分を脱ぎ捨て、イエスさまに従い歩みゆく者となりましょう。そして謙虚さをもって、喜んでイエスさまが示された道を歩んでいきましょう。

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