主日礼拝説教 2025年10月5日

マルコによる福音書4章26~34節
「聞く力に応じて」
 私たちには、種、神さまの言葉、つまりイエスさまの福音を宣べ伝えることが命じられています。それは、イエスさまの福音を聞いて受け入れた人が、神さまの国の祝福にあずかるためです。だから私たちは喜んで神さまの福音を宣べ伝えていくわけです。しかし、私たちは福音を聞いた人に、受け入れてもらうことが簡単にできるでしょうか。イエスさまの福音を語って、聞いた人をすぐに信じさせることができるでしょうか。私たち人間だけでは、絶対できません。それをしてくださるのは、神さまです。イエスさまの弟子たちが、イエスさまに命じられて福音を宣べ伝えることによって蒔かれた種が、神さまの働きによって芽生え、成長したのです。神さまの国は人の働きを用いて、神さまが成長させて下さる事が分かります。
 人は種を蒔いてしまえば、その種に対して待つことしかできません。そして待てるのは神さまが成長させてくださることを信じているからです。ここに私たちの平安があります。私たちは、神さまのお働きを信じて、種を蒔けばよいのです。
 イエスさまは、神さまの国をからし種にも例えられました。からし種は一ミリほどの大きさの種です。でも、それが神さまの守りの内に成長し、2~3メートルほどの木になります。しかしなぜからし種なのでしょうか。イエスさまが生きられた地域には、もっと大きな植物があります。レバノン杉などがその代表でしょう。エゼキエル書には、「わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる(17:22,23)」とあります。イエスさまもこの個所を前提としてこのからし種のたとえを語られたのでしょう。レバノン杉は成長すれば40m以上にもなる大きな木です。しかしあえてからし種に例えられたのは、目に見えない位に小さなものが最後には誰の目にも明らかな大きなものになるという変貌を強調したからです。これは、最初のたとえで、目に見えない成長を遂げた種が、神さまに委ねた結果目に見える実を結ぶことと同じです。
 イエスさまの語る福音は、最初は小さな集団で共有されました。その小さな集団に復活されたイエスさまは、宣教命令を出されました。弟子たちは、戸惑いながらもイエスさまの命令に従って、福音を宣べ伝えました。そこで蒔かれた種は、全世界へと広がり、多くの人々に祝福をもたらしたのです。神さまの国が大きく成長したことは、神さまの国の中心的な現れである教会が世界中にあることからも分かります。時代によって多少の振れ幅や上下はあるかもしれませんが、確実にイエスさまが蒔かれた種は、大きく育っているのです。私たちの教会が77年もの間、この地において沢山の人たちに福音の種を蒔き続けていることから分かります。
 また質的な成長、信仰者として成長することも、私たちの実生活の中から感じることができます。成長する種のたとえは、私たち一人一人における神さまの国の成長のことを教えています。私たちの心には常にみ言葉という種が蒔かれているのです。しかも私たちの聞く力に応じて語られているのです。
 神さまは私たちを用いて信仰の種をまかれます。だから私たちは成長させてくださるのは神さまだと信じ、これからも種をまきましょう。

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