主日礼拝説教 イースター・召天者記念礼拝 2025年4月20日

マタイによる福音書 28章1~20節

「恐れることはない」

 イエスさまは十字架の上で死なれた後、墓に葬られました。そして夕暮れから安息日、土曜日が始まります。その日が終わって週の初めの日、つまり日曜日の明け方に、マグラダのマリアともう一人のマリアが墓に行きました。すると、地震が起こり、墓の入口に蓋をしていた大きな石が転がり、その上に天使が座っていたというのです。見張りをしていた番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったと書かれます。
そんな中、天使は女性たちに告げました。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを探しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」と。
私たちは、人生の中で愛する人の死を経験します。今まで共に過ごした家族、お付き合いして来た親しい人がこの世からいなくなるのは、悲しく寂しいことです。その失った人を、私たちは墓に葬ります。そして、折々に墓参りをし、その墓の前に立つでしょう。私たちもこうして教会を共に造り、教会生活を共にして来た多くの人を偲んで礼拝を守っています。
 しかし、墓の前に立つとき、神さまは「恐れることはない」と語り掛けてくださるのです。墓は記念の場所だけれども、そこに愛する人はいないのです。天を見上げて亡くなった愛する人が、やがてイエスさまと共に復活し、天の御国において永遠の命に生きることを信じるのです。
 私たちは人の死はすべての終わり、滅びだと考えてしまいます。もう会えないと考えます。何の希望も持てず、恐れを抱きます。だから、思考が後ろ向きになります。しかし死はすべての終わりではない、滅びではない。死を突き抜ける命がある。死から始まる新しい命がある。永遠の命の世界がある。この希望を聖書は語ります。イエスさまの復活とこの希望がなかったら、弟子たちはとっくに散り散りバラバラになり、後の歴史に教会とキリスト教信仰は存在しなかったでしょう。
 神さまは人間に対して「恐れるな」と何度も語り掛けてくださっています。イースターは私たちの恐れをひっくり返してくれる時でもあります。イースターは疑いの時でもあります。私たちの死は本当に滅びなのか?という疑いを持つときです。イースターがあるからこそ、イエスさまの復活があるからこそ、死は終わりだ、滅びだと思っていた恐れの確信が揺らぎ始めるのです。その時、私たちの人生の向きが変わり始めます。私たちの墓に向かう足はひっくり返るのです。希望のない、死へと向かう後ろ向きの姿勢は、命の希望を信じて生きる前向きの姿勢に、顔を上げて天を見上げる姿勢に変えられるのです。その人生転換がまた、一つの復活なのだと言うことができます。
復活したイエスさまは、恐れながらも喜ぶ女性たちに「おはよう」と挨拶をされました。この挨拶は「喜びなさい」という意味です。何を喜ぶのでしょうか。もちろんイエスさまが復活されたことです。そして、イエスさまの復活に支えられた私たちの復活の約束です。この喜びを人生の土台とすることが信仰なのです。絶望に向かう足をひっくり返し、神さまの方に向きを変え、神さまを信じ、神さまと共に生きる生き方です。
 神さまは私たちにいつも「恐れるな」と呼び掛けてくださいます。そしてイエスさまの復活により、私たちは死がすべての終わりではないことを信じるものとされました。死は絶望であるという価値観をひっくり返されたのです。イエスさまは私たちのために復活されました。この喜びを宣べ伝えていきましょう。

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